セレニアをもってしても抑えられない吐き気
眠るエドの様子をうかがいつつ、この文を書いている。
4月1日に設置したエドの食道カテーテルを5月10日に外した。ひと月あまりのチューブフィーディングを経ても口からは少量しか食べられず、ゴールデンウィークの終わりに吐き気が復活。5月6日の血液検査にて、体内の炎症はステロイド、数種の抗生剤をもってしても下がらず、その他の数値も軒並み悪化していることが判明。悩んだ末、エドの命を彼自身に任せることにした。
つけるのは即決、外すのは躊躇
いったんは吐き気が収まり、流動食を必要カロリー近くまで摂取可能となり、ご飯の合間にはチュールやウェットフード、時にはカリカリを数粒食べられるようにまで食欲復活の兆しが見えていたエドである。体重の微増を喜んでいたが、ゴールデンウィーク中に体調が暗転。目の前にフードを差し出すと吐くような仕草がみられるようになり、いったんお腹に収めた流動食も戻すようになった。
連休明けの血液検査にて体調の悪化を現実として認識するも、もしかしてセレニア(制吐剤:カテーテル設置の際に処方された時はエドの食欲が復活)ならと一縷の望みを託し処方してもらった。しかし今回は吐き気を抑えきれないことを確認。注入を始めた途端で吐き気を催すまでに状況悪化である。
チューブフィーディングでご飯を入れられなくなった現状と5月6日の血液検査の数値。治療をやめる時期が来たのかもしれない。
電話で主治医にエドの病状の見通しを改めて確認。決断が早まっていないか、熟慮(というか躊躇というか、とにかく気持ちが揺れた)ののち、5月10日、病院にてカテーテルを抜くことにした。
水は飲むけれど、ご飯には口をつけず。ゴロゴロは大盤振る舞い
通院用のバスケットに入れられ唸る病院嫌いのエドに、これで最後だと約束した。カテーテルを外すだけなので、病院についてすぐに処置。ありがたい。数分で処置は終了。家にまっすぐ引き返す。
廊下でバスケットから解放されると外ケージへ直行するエドである。
機嫌はすこぶるよく、撫でれば律儀にグルグルゴロゴロを聞かせてくれる。
「これで良かったのかな?」
「グルグル」
「頑張ったな。ありがとね」
「ゴロゴロ」
という具合。優しい猫なのだ。
水は飲むが、相変わらずご飯にはそっぽを向く。おそらく早くて1週間、もしかしたら2週間、一緒にいてくれるかな。
お漏らしだけはしたくないらしい
いつも寝ていた人間のベッドと、外ケージと、廊下と、人間に無理強いして手に入れた本棚の最下段をローテーションしながら寝ている。
時折ムクリと身を起こし、アオ?と鳴く。一緒に寝ていると前足で顔を触ってくる。昨夜は爪が鼻の穴に入ってびっくりして目が覚めた。痛いぞエド。
要件は「水くれ」か、「トイレに連れてけ」のどちらか。
もともと右前足の調子が悪かったこともあり、歩行はふらふらと不安定。座る姿勢もキツくなったようだ。
水を飲む時は倒れないように体を支え、鼻先が水に沈まないように顎を保持。器を傾けて水面を顎下スレスレにキープ。ゴクゴグとはいかず、時間をかけて少量ずつ飲む。
トイレでは猫砂トイレの中に抱え下ろして、後ろ足を少し開き、尻尾を後ろに出して、上半身を両手で包むようにして支える。4から6時間間隔でオシッコをしている感じだ。ただ、時々水をくれの「アオ?」を読み違えてトイレに連れ込むと、とても不機嫌そうな素振りをするので慌てて水場へエスコートだ。
寝たままの姿勢の「アオ?」は、単純に「撫でろ」だったり、「水」だったり。この時の水は、器を捧げ持ちエドの口元に持っていく。寝たまま飲むとむせるので胸元を持って顎を支えている。
歩けなかった子猫時代のエドを彷彿
今まで家で看取った猫のほとんどは最後まで自力でトイレに行っていたし、末期にアオアオ鳴いて人を呼んだ猫もいたが、亡くなる前の2日間ぐらいだった記憶がある。
トイレに水に何かと手を取るエドだが、そういえば我が家に来た頃、数ヶ月歩けなかったんだ。15年経ってあの頃に戻ったみたいな気がする。
エド(ほんとはエドワード) 去勢・避妊をすると太ってしまう猫もいる。エドはぽっちゃり体型。体質もあるのだろうが、子猫のころに活発に動けなかったこともぽっちゃりの原因かもしれない。 子猫が死んでる。 エドは勤務先の駐車場の …